お侍様 小劇場

   “やさしい素描” (お侍 番外編 26)
 

 見上げた空の色が、いつの間にやら随分と透き通って来た気がする。何と言ったらいいものか、遠くまでを見通せて、空気がそれだけクリアになったというか。夏の太陽の、あの灼きつけるような覇力が退いただけで、こうまで違うかというような爽快な。

 “うむ。爽快なものだな。”

 気温はまだまだ高いが、それでも。頬を撫でる風からはもう、夏の匂いは薄いし遠い。いかにも体を酷使して来ましたという、頑丈そうな体躯に。頬骨高く、顎も張っていて、機能優先の作業服が途轍もなく映えるほど、いかつい面差しをした彼ではあるが。これでも花の名前には一通り詳しいし、こそりとウェブで展開中の小説サイトでは、幕末のとある武家の跡取りと可憐な小間使いとのなさぬ仲を描いた時代小説が、結構な人気を呼んでもいて。

 「…お?」
 「あれ、ゴロさん。」

 勝手知ったる何とやら。日頃から親しい付き合いのあるお隣りさんは、丁度十歳ほどずつ年の離れた、3人の男性たちのみという男所帯で。遠い血縁同士にあたるとかいう話だが、それ以上は聞いていないし訊こうとも思わない。そんな島田さんのお屋敷を、いつものように直接庭を突っ切る格好で訪のえば。庭に接した明るいリビングには、日頃から家事一切を担当しているうら若き美丈夫、さらさらの金の髪をうなじに束ねた、七郎次という青年の姿があり。それは平生と変わらぬことなれど、そんな彼と向かい合うよに、床に敷かれたラグの上、胡座を崩したような座り方で腰を下ろしてるもう一人。

 「珍しいの。キュウさんがもう帰っていようとは。」

 臙脂色のチノパンは、その痩躯によく映えており、カフェラッテを染ませたようなTシャツに重ね着た生なりのシャツは、誰のお下がりか随分とサイズが大きく、子供がふざけてシーツをかぶっているように見えるほど。口数少ない彼なのは承知で、だが、人見知りをするということでもないらしく。

 「…。」

 お顔を上げると、綿毛のような前髪を透かし、紅色の双眸をこちらへと向けて来る。小さな顎を引いたのは、彼なりの親しみを込めた会釈であり。
「何でも体育祭の準備とやらで、九月いっぱいは午前だけの授業なんですって。」
「おやおや。だが、それじゃあキュウさんは準備には参加しないのか?」
 詮索というほどのものでなし、何げなく訊いたと、彼にも判っているのだろう。こくんと小さく、一回だけ頷いて見せ、そんな彼に代わって、ソファーに座したままの七郎次が詳細を語ってくれた。
「設営だ何だっていうのは、夏休み前に担当がもう決まっていたのですって。」
 久蔵殿はなんと、当日に応援団をやるのですって♪と、はしゃいだ声を上げたそのまま。お茶でも淹れますねと立ち上がりかかったその拍子、

 「……。」

 おや?と。五郎兵衛が不審に感じたほどに、くっきりした感情の動きを読み取って。無論のこと、彼のそんな態度を、もう一人の家人が拾えぬはずはなく。
「ああ。でも久蔵殿、もう3時を回っておりますよ? あなたも少し休んだほうが。」
 結構な時間を同じ姿勢でいた彼ららしいというのは、そんなやり取りを聞かずとも判る。久蔵の手元、お膝に広げられた大きめのスケッチブックが、彼らの過ごしていた状況を物語っているというもので。どうやら、七郎次の姿を描き写していた久蔵であるらしい。
「よかろうさ。キュウさんが気の済むまで、モデルを務めておやりなされ。」
 茶なら某
(それがし)が支度しようと、大きく頷き、失礼と庭から室内へ上がってゆく態度も堂々としたもの。……と、

 「…おお、そうそう。本題を忘れるところだった。」

 小脇に抱えて来ていたダンボール箱を思い出し、キッチンへ向かう足を止めると、二人に同じように見えるよに、腰を少ぉし屈めて中身をご披露すれば、

 「わわ、凄いじゃないですかvv」
 「…、…。(頷、頷)」

 箱の中には、実の張り詰めたトウモロコシから、ハウスみかんに梨に巨峰。シシトウにナスビに、大人の頭ほどもあるカボチャにと、様々な実がこれでもかと詰まっており、
「納車に行った先が、手広くあれこれ作っておいでの農家の多いところでな。」
 露地ものを扱っている直販所があちこちにあったんで、新鮮なところを見繕って来たのだが、調子に乗り過ぎて二人では喰い切れぬほど手を出してしもうてな。ヘイさんから、シチさんへ差し上げてくれと言われた。
「いえそんな。実費は出しますよ。」
「何の、ヘイさんが言うには、きっとシチさんは美味しい煮付けをおすそ分けしてくれようから、何ならウチの分も預けて来ればいいかもと。」
「あらまあ。」
 あっはっはと豪快に笑ったお隣りさんが、箱を抱えたままでキッチンへと向かい。さして経たずに、芳しい焙じ茶とそれから。これもお土産だったのか、小麦と玉子のおせんべいを盛った鉢を盆へと載せて戻って来た。恐縮しきりの七郎次に何の何のという笑みを返しつつ、久蔵の傍ら、つまりは床へと腰を下ろした五郎兵衛だったのは、次男坊の作品を見たかったからで。久蔵の上半身、胸板を隠し切るほどの大きさがある画面を、横合いから眺めやり、

 「ほお。これはなかなか達者なものではないか。」
 「…。////////」

 五郎兵衛殿からのお言葉へ、あんまり表情は動かぬままながら、それでも口元がうにむにと動いたので。久蔵としては十分含羞んでいるらしく。

「そうでしょう? アタシもさっきちょっと見せてもらって驚きました。」

 何につけ久蔵のやることなすことを贔屓目に言う七郎次だが、こればっかりは身内贔屓は抜きにしての賞賛に違いない。鉛筆のみにての“素描”というやつであるのだが、七郎次の端正な容姿を見事に写し取ったその写実が巧みというのみならず、彼のまとった繊細な雰囲気、風情というものまでも感じ取れそうな、やさしい表情や態度所作の柔らかさまでもが拾えており。
「ここまでお描きになれるのだったら、芸術専攻で書道ではなく美術を選択なされば良かったのにって。」
 そんな話をしていたところと、楽しげに微笑った七郎次だったが、

 「〜〜〜。/////////」

 それは堪忍と首をすくめた久蔵だったところを見ると、腕前は上手でもあんまり得意なことではないのかも。

 “…というか。”

 淹れていただいたものだからと、一口だけは口をつけたお茶にも、その後はあまり手を伸ばさずに。指先での摘まみ持ちにした鉛筆を、延々と走らせ続けていた久蔵であったのは、

 “スケッチにかこつけて、
  シチさんのお顔をただただ見ていたいから、なのかも知れぬわな。”

 別段こんな理由など要らないことであろうになと。そりゃあ仲睦まじい過ごしようをする彼らを、よくよく知っている五郎兵衛にしてみれば、その点が“何でだろ?”な点ではあったが。久蔵には久蔵なりの、子供っぽいことと大人なこととの差、俗に言う“分別”とやらがあるのだろうてと。やはりやはり深くはこだわらぬまま。品のいい口許に淡い微笑を滲ませた佳人の素描、少しずつ質感を増してゆくのをほのぼのと眺めておいでだったのだった。





  ◇  ◇  ◇



 仄かな微笑をたたえてソファーに腰掛けたおっ母様の素描は、色鉛筆の淡彩で仕上げられ。短い襟のスタンドカラーのシャツが何とも清楚にお似合いなところも、少しほど目許を細めておいでの端麗莞爾な微笑の優しさも、そりゃあお見事に描き切っており、
「大したものだの。先日もらったストラップの飾りといい、久蔵は随分と器用な性なのだろか。」
 生きのいいコオロギたちが、庭でりいりいと鳴くのが聞こえる宵のひととき。今宵も帰宅が遅くなった勘兵衛が、リビングのテーブルに置いてあったスケッチブックに気がついて。晩酌の支度をしている七郎次の様子を背中に感じつつ、はらりと表紙を開くと、他愛ない風景画が幾枚かあったその後に現れたのが、己の伴侶のそれはやさしい絵姿で。描いた当人は既に二階で眠っており、色々と語れぬのが惜しいなと苦笑を零した惣領殿。
「だが、いきなり目覚めたかのような運びだの。」
 自分にとっての大切な存在が、こうまで見事に描かれたもの。やはり可愛くてならぬ書き手の込めたそれだろう、たどたどしい愛情も感じ取れ。何とも素晴らしい逸品ではあるけれど。これまでにこういうスケッチをあの久蔵が嗜んでいたところなぞ、一度たりとも見たことはなく。スケッチブックにあった風景画も、学校の課題だったから仕方がなくという感のあった淡々としたもの。上手ではあっても得意だからと好んで描いたものには見えなくて。

 「ですよね。私も唐突なことだなと思いはしたのですけれど。」

 それは瑞々しく仕上がったところへ丁寧におろしたショウガを載せた焼き茄子に、ししとうの焦がし炒めという肴と、贔屓にしている酒屋さんから薦めていただいた、辛口の生一本。てきぱきとしていつつも嫋やかな所作にて、手際よく運んで来た七郎次が。恐らくは今月中で見納めだろう、風呂上がりの浴衣姿という、男の色香まとわしたいで立ちの御主の傍らへ、少し間を置き、腰を下ろして。

 「もしかして、曙幼稚園の良い子たちに触発を受けたのかも知れません。」
 「曙幼稚園?」

 簡素ながらも優美なフォルムの白磁の猪口が、ごつりと武骨で大ぶりな手には玩具のようで。そのくせ、指先がそれを摘まむ所作は、何とも小粋に映るから不思議。それへとゆっくり、こちらもやはり細い首の銚子を傾けて差し上げれば。揃えた白い手へと見とれていなさった視線が、ゆるり和んで苦笑を浮かべ、そのまま目線だけで話の先を促しなさる。

 「今日はご町内のお掃除当番だったのですけれど。」

 おっ母様が担当したのは、JR沿線間近にある曙幼稚園の周縁。金網のフェンス回りにも、駅から帰途につく途中のことだろう、空き缶だの吸い殻だのをポイと捨ててく困ったお人が絶えないのでと。それを丹念に拾って集めるお当番にあたっていたところ、園庭で遊んでいた年長さんのお子たちがさわさわと寄って来た。お母様たちに“プラチナ・アソシエイト”たらいうファンクラブがあるほどに、愛想が良くて物腰も柔らかい七郎次さんはこちら様でも人気の的。金網にへばり付いての、遊ぼうだの絵本を読んでだのとのラブコールが絶えない中、保育士のお姉さんまでが“お願いします”と手を合わせて来たのは、先生の一人が急な風邪で休まれていたせいだとかで、

 『あとちょっとで帰宅の時間なんです。』

 早めのお弁当食べてお昼寝をした年長組は、あと1時間足らずでお迎えのバスが出る時間。そこでのお遊戯をと構えていたのだが、そんなタイミングに姿を見せた七郎次さんと来て、

 「それにしたって、資格のないお主がお遊戯を指導する訳にも行かぬだろ?」
 「ええvv」

 ちょっぴり怪訝そうなお顔になって深色の目許を眇めなさった勘兵衛様へ、含羞みをうっすらと滲ませた笑い方をして見せて、
「私へは妙にお子たちが集まって来ますので、勝手にどこかへ外れて一人遊びをする子がいないようにという、見張りというのか、子寄せ役を、ね?」
 以前にも、あれは近所の児童会館までへと出向く折の補佐にと、駆り出されたことがあったそうで。
「お絵かきをするので、それへと付き合って下さいと。」
「ほお。」
 園庭に向いた窓辺寄り、椅子を持ち出してちょこりと腰掛けて、画用紙広げた子供らの輪の真ん中で、じっとモデルになっていたところが、

 「久蔵が通りかかったと。」
 「ええ。」

 一体何をしているのだと驚いたのか呆れたか、金網フェンスの向こうで固まっていたところを水分り薬局のコマチちゃんが気づいてくれましてね。久蔵殿もお昼までだと、忘れていた訳じゃああなかったのですが。どっちにしたって丁度いい頃合いだったので、そこまでで切り上げての揃って帰って来て。お昼の支度をしていた間に、そのスケッチブックをどこやらから掘り出して来たらしくって。それで、自分も描くからそこへ座れと言われてしまって。

 「きっと、和子らに触発されてしまったんでしょうね。」

 そりゃあお上手な子たちでしたしと、罪なく微笑っている七郎次だったが。見ていた訳でもない勘兵衛が感じたのは、

 “むしろ、和子らへ妬いたのではなかろうか。”

 大切な大切な七郎次が、久蔵にとっては見ず知らずな子供らに取り囲まれていて、ジロジロと不躾に眺められていたなんて。七郎次本人が許そうと、そんな腹立たしいことがあるものかと感じたその末、子供らに見つめられることで損なわれているところはなかろうかと確かめたくなった…とまで言うのは穿ち過ぎかもしれないが。何なら鍵かけて閉じ込めておきたいくらいに、大事な大事なおっ母様。よその子の視線に晒されてたなんて、何とも許しがたかったに違いなく。だったら自分も、大好きな七郎次を存分に眺めているのだと思っての、唐突な画伯ぶりを発揮したのでは? そして、そうじゃあないのかなんて予測が立てられてしまう自分も、
“そういう感覚をしているということか。”
 まだまだ幼いと言っても支障がなかろう久蔵はともかく。いい年をしたこの自分がそれというのは、あまり褒められたことではないかも知れぬと、苦笑が口元へと浮かんでしまい、
「? 勘兵衛様?」
 笑える要素はないと思いますがと。細かいクセのある蓬髪の陰で口許ほころばせ、その手元に見下ろしておいでの肖像、自分も見やるおっ母様。一途な眼差しがずぅっと見つめていたのだろ、自慢の伴侶の白面は相変わらずに端麗であり、文字通りの眼福を堪能した久蔵なのだなとやはり苦笑が絶えなかった勘兵衛なのだが、

 「でもねぇ。」

 ふと。感慨深げなお声を立てた七郎次。如何したかと小首をかしげる所作にて問えば、
「絵姿を描くということは、ある程度は離れてなきゃあなりませんでしょう?」
 肩から上でもバストショットでも、その姿を視野の中へ収めるためには、成程、ある程度の距離の確保も必要で。
「描いてる間、触れられなかったのは寂しかったのか。一通りの下書きが出来ると、一緒にお風呂とねだられちゃいました。」
「……お。」
 いやはや、かあいらしいもんじゃあないですかと。おっ母様にしてみれば、ご満悦な甘えようをされたとなるのかも知れないが。

 “離れて眺むる姿も、触れて感じる温みも、両方とも得てしまえるとはの。”

 同んなじ立場だ感性だ…どころか、幼い立場な分、立派にこちらの嫉妬を掻き起こすよな存在じゃあありやせぬか?と。それこそ大人げなくも感じてしまわれた誰か様。どっちにしたって、おっ母様には罪はないのですから、閨で執拗にいじめるなんてのはナシですよ?




  〜どさくさ・どっとはらい〜 08.9.14.


  *途中で電源が落ちて、4分の1ほどが保存出来ずの書き直したのが不満です。
   念を入れて見直さにゃあな。(とっほっほ。)
   ちなみに、曙幼稚園はアケボノ保育園の姉妹校(姉妹園?)です。
   後になって、いや待て幼稚園じゃなかったような…と思い出したのですが、
   (参照『
知らぬは▽▽▽ ばかりなり』)
   当時の 〜〜あそしえいつのお母様方が、
   こちらにまるまま移ってこられているということで。
(笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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